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大塚彩子さん(彩さん)のビリーフリセット・カウンセリングの個人セッションを受けてきました。
2月に続いて今回が2回目です。
前回の様子は以下の記事でどうぞ。
ちょっとしたことで腹が立ったり、落ち込んでしまったり、自分でもよくわからない感情の起伏があることが悩みでした。
前回のセッションでその心の動きの根底にある原因が見えてきました。
その原因のために「ちゃんとしないといけない」「役に立たないといけない」「結果が出ないといけない」という、「優等生な自分でないといけない」という潜在意識が強く出てしまっている状態でした。
ただ、それに対してどう対応していけばよいのかが、まだ分かりません。
この一か月は自覚がある分、ある程度気持ちの動きに冷静に向き合うことができました。
でもまだ、今までと同じように落ち込んだり、怒ったりということもあります。
そこで今回のセッションでは、さらにこの状態を深掘りするところから始めていただきました。
このままの自分には価値がない
私も「下りのエスカレーター」に乗っていた
「ちゃんとしないといけない」「役に立たないといけない」「結果が出ないといけない」。
「じゃあ、そうできなければどうなりますか?」
彩さんにそう聞かれて感じたのは、結果を実感できない、何もしない/できない「このままの自分には価値がない」という感覚です。
この意識を消すために、私はいろいろな知識や技術を身につけることで「xxxの技術を持っている」「xxxを知っている」という証拠を作り出そうとしてきました。
でもこの証拠は自己満足でできた脆い証拠です。私より知識やスキルを持っている人は沢山います。
そのため、この証拠はしばしば他の人に簡単に崩されたり、反論されたりします。私が「できる」と思っていることに意義を感じない人も居ます。
そのような状況になると私の中から「価値がない自分」が簡単に顔を出してしまいます。そして、それに過剰に反応して怒りや落ち込みという感情がでてきてしまっていました。
何もしない/できない自分は「駄目な自分」だし、何もしないとどんどん「駄目な自分」になっていくという感覚が自分の中にあるようです。
これは以前、心屋仁之助さんの本で読み、彩さんのご主人である立花岳志さんも仰っていた「下りのエスカレーターを上ろうとしている」感覚です。立ち止まると下がっていく恐怖感。下がらないように仕方なく毎日ステップを踏んでいるようです。
立花さんに聞いたときには自分事として理解できていませんでしたが、私も同じエスカレーターに乗っていました。
「感じる自分」を封印していた
彩さんとお話しする中で出てきた話です。
「下りのエスカレーター」を上る中で、私はいつの間にか「やる自分」の邪魔になる「感じる自分」を封印してしまったようです。
子どもの頃の自分を思い浮かべて対話するということもやってみましたが、その頃の自分は感情を封じて、あきらめの感情を持っていました。
そのような状態を何十年も続けたからでしょう。今では自分の心に聞いてみるとか、ワクワクに従ってみるというのが、いまいちよく分かりません。
「駄目な自分」が晒された時以外のふだんの感情がどこまで心のそこからの感情なのか、実は自分でもよく分からなかったりします。
「下りのエスカレーター」を上らないといけないので、そういう感情を無視するようになってしまったのかも知れません。
私はいつ「下りのエスカレーター」に乗ってしまったんでしょう。
「このままの自分には価値がない」からの抜け出し方
「本当に価値がないのか」を考える
この状況から抜け出していくために、まず「このままの自分に価値がある」証拠を探すことを行いました。
「xxxの技術を持っている」「xxxを知っている」では今までと同じです。何もしない「このままの自分」で認められることは何かをその証拠として考えました。
そのような思考をしてこなかったので、この証拠が肚落ちする形でなかなか出てきません。いくつか出てきましたが、これは次回のセッションまで継続して考えていこうと思います。
「自分には価値がない」。人からそう感じさせられると傷つくのに、自分がもっともそう感じていたのかも知れません。自分に失礼なことです。
そもそも価値は自分基準です。尺度も人によって異なるはずです。そんな中で自分基準で価値があってもなくてもどちらでも良いのではないか。
そう考えてみようと思います。
自分軸の人生を選ぶ
封印してきた「感じる自分」を取り戻すことで、本来の自分が感じる声にもっと耳を傾けようと思います。
まずは自分の感情を無視せず、意識することから始めてみます。
そして自分の感情に従って行動を選択していこうと思います。
今の無意識の感情は、子どもの頃の感情が吹き出したものだといいます。子どもの頃の自分との対話も続けてみたいと思います。
あとがき
自分は「xxxについて詳しい」「xxxできる」。こういう証拠を集めていたのが今までの自分でした。
でも表面的なそのような証拠が覆されるのが怖くて怖くて仕方がないようです。
自分がかつての立花さんと同じように「下りのエスカレーター」を必死で駆け上がっていたなんていう感覚はありませんでした。
「このままの自分には価値がない」。子どもの頃にインストールされてしまったらしい、このビリーフ。
時間がかかるかも知れませんが、取り去っていきたいと思います。